監督・スタッフ

「さとにきたらええやん」監督インタビュー

重江良樹

監督:重江 良樹(しげえ よしき)

1984年、大阪府出身。
ビジュアルアーツ専門学校大阪卒業後、映像制作会社勤務を経てフリー。
2008年に「こどもの里」にボランティアとして入ったことがきっかけで2013年より撮影し始める。
本作が初監督作品。

西成・釜ヶ崎=危険な街という偏見を持っていた。
「何でこんなところで子どもの施設をやってるんですか?」

Q. 本作を撮影するきっかけは何だったのでしょうか?

映像学校在学中に何か社会性のあるドキュメンタリーを撮りたいと思い、おもいつきで釜ヶ崎の街に行ったら「こどもの里」と出会いました。こどもの里の前を通り過ぎようとすると、中から半裸で裸足の子どもが二人「バァー」っと飛び出してきて嵐のように再び中へ。呆然とその光景を見ていて気づけばこどもの里の中へ入っていました。「西成・釜ヶ崎=危険な街」という世間一般の偏見を思いっきり持っていた僕は訳が分からず「代表者の方を呼んでください」と言って、荘保さんに「何でこんなところで子どもの施設をやってるんですか?」といきなり来て無礼な質問を繰り返していたら「子どもが好きやからです!」と一蹴されました。夏休み中の昼下がり、今思えば忙しい時間帯でしたので…。
その後すぐ帰るのもなんなので、1階のホールで小中学生たちが野球しているのをずっと見ていたら「一緒にやろうや」と遊びに誘われました。結局閉館時間まで遊んでしまい、なんかすごい楽しかった事を覚えています。

“さと”に通い始めたのは、元気をもらえるから。
明るいだけでない、人の痛みがわかる子どもたち

こんな街にこんな所がという思いと、子どもと遊んで楽しい!ということが混ざり合い、気づけば結構な頻度で通うようになってました。もはや撮影という事は考えていませんでした。でもずっと「何でこんなに“さと”へ行くんだろう?」とは冷静に考えてて、気づいたのは「元気をもらっている」という事でした。仕事やプライベートの事でごちゃごちゃしている頭の中を、“さと”の子たちは有り余るパワーでスコーンと空っぽにし、僕を笑顔にしてくれました。それと同時に、空っぽになった頭の中に、色んな事が詰め込まれていきました。子どもたちはそれぞれに抱えるしんどさがあり、心が苦しい時がある。そんな時でも親や他人を思いやる優しさがあるという事。本当に他人を労わる心が強い。
通い始めて5年ほど経った時、こどもの里なら、この子達なら、スクリーンを通して観た人を元気に出来ると同時に、社会全体で考えなければならない事を示してくれるのではと思いました。子がしんどいという事は親もしんどい、しかし社会の多くはそれをただのダメな親として片付ける。少し考えたら分かるようで想像が及ばない、様々な事を提示してくれるのでは?と思い撮影のお願いをさせて頂きました。

自分の大事な場所、大好きな子どもたちを撮るからには中途半端にはしたくない

Q.「こどもの里」で撮影をし始めて、実際はいかがだったでしょうか?

最初のうちは構成も何も考えていなかったので、目の前で起こったことを何でもかんでも撮っていました。子ども達のケンカで泣いている子にカメラを向けた時に「こんなとこ撮ったんなや!」と低学年の子に怒られた事もありましたが「自分の大事な場所の大好きな子たちを撮るからには中途半端にはすまい」という思いだけで撮影していました。
撮影を始めて半年が過ぎ、メインで撮る人たちもある程度絞れてきた所で自分はどの程度撮れているのか?と思い親交のあった小谷忠典監督に撮影したテープを見せた時、「カメラと人物の距離が遠い。もっともっと関わらないと。その人の人生の一部を撮らせて頂いてるんだから。こんな撮影してたら何も伝える事ができない」と言われてハッとしました。無意識のうちに、緊張感のある場面では対象者の方と距離を取っていて、その場の空気を壊さないようにと勘違いしていたんです。もちろん空気感はとても大事ですが、何かを撮るという事は何かを人に伝えるためであることを改めて気づかされて、撮らせて頂いてる方々にもすごく失礼な、中途半端な事をしていると気づきました。それからは相手が嫌だと言わない限り、適切な距離で撮影するようになりました。

Q. 登場する子どもたちの表情がとても豊かです。主要な3人の子どもたちを選んだ理由はなんでしょうか?

こどもの里は、通いの子が来る遊び場としての学童保育事業(撮影時は子どもの家事業)。親や子ども自身から依頼される緊急一時宿泊、児童相談書が親子分離の長期化を判断し委託するファミリーホームがあります。荘保さんがこどもの里を遊び場として始めて、長期で働きに飯場に出る親や、そのために児相に預けられ通学出来ず遊ぶ事さえ出来ない子ども、家出する子ども達など、その時々のニーズに合わせていくことで今のこどもの里になっていったそうです。それを聞いた時、ずっと現場の肌感覚でやってきて、それが子ども達のためになってきているというのがすごく魅力的で、そういう事を考えながら撮っていたら今回の3人の子たちとなりました。

みんな、様々なことを抱えながら生きているけど
互いが互いを想う気持ちの強さに圧倒される

中学生の男の子は兄弟が多く、よくケンカもするのですが、彼が時折話してくれる家族への思いや、不登校気味な学校での話しに魅力を感じ彼に焦点を当てました。彼がその時々に見せてくれた不満げな顔や真剣な眼差しは、言葉以上に様々な事を語ってくれていて映画の中でも観る人を魅了してくれると思います。

お母さんが宿泊依頼をする保育園児の男の子はお母さんが育児に悩みがあり、時に手をあげてしまい、そして自身もしんどさを抱えながら生きているという事は里に居ながら感じていました。撮影を始めてしばらくし、お母さんと話をしてみるとすごく我が子への愛情が伝わってきて、そのしんどさと愛情はきっと映画を観る人に伝わる事があると言い、その場で撮影のお願いをしました。

里に住んでいる高校生の女の子は、近くに住むお母さんとは暮らせていませんがお母さんの事が大好きで、その母親への思いは撮影当初、疑問でもあり魅力的でもありました。そしてお母さんと話をしてみると、やはり自身も色んな事を抱えながら不器用に生きていて、すごく子どもの事を想っているのが伝わってきました。里ではケースにもよりますが、いつ母親が会いに来てもいい、親子関係を断ち知らないのです。適度な距離感で関係性を維持していく事によって、子どもは見捨てられ感を抱かずに生きていけるし、母親も過度な負担を背負わずに済む。これは新しい、社会全体で共有すべき家族の形だと思いました。
「子どもが親を大切と思っているからそれは宝だ」と荘保さんは言います。僕も実際色んな子と接してそれは強く感じました。子どもが親を想う気持ちって本当に強い。その「誰かが誰かを想う力」というのは登場する子ども達一人ひとりが提示してくれていると思います。

危険と思われている街・釜ヶ崎は優しい人が多い
街全体が子どもたちを見守ってくれている

Q. SHINGO★西成さんの音楽が印象的ですが、どのような理由で選んだのでしょうか?

中学生の男の子が大ファンで、こどもの里に来ている子どもたちも大好きなんですが、初期の構成では釜ヶ崎でのライブのシーンだけでした。歌もMCも素晴らしく子ども達もノリノリで、さすが地元が生んだ歌い手だと。今回3曲使わせてもらってるんですが、編集時映像を並べてみて、言葉で説明したくないけど映像だけでは少し伝わりづらい、そんな所を埋めてくれたのがシンゴさんの楽曲でした。詩や曲の質感がとてもこの映画とマッチした。また、シンゴさんは主要な彼の憧れの人で、映画の中でも影響を受けていると思われるシーンは多々あるのですが、自分の住む街の中に憧れの、夢を引っ張ってくれる人がいて、いつもそばで見守ってくれている里の職員達もいて、こんな幸せな事もまたこの街ならではで、そういった所も観る人に伝わればいいなと思います。

Q.「こどもの里」の様子だけでなく、釜ヶ崎の街の人々も撮影しています。通っている中で釜ヶ崎の街の状況はどのように感じましたか?

危険な街だとよく言われますが、商店や小売店、コンビニなんかも普通にあって、そこで生活を営む人がいて、少し違うのは労働者や野宿者、飲み屋の数が多い。だからといってその人たちが危険なのかといえばそうではなく、むしろ優しい人が多いと思います。映画の中に出てくる夜回りのシーンなんかを撮っていても「あっちにもおにぎりあげたって」とか「向こうの人最近全然見ないけど大丈夫かな」とか、他者への気遣いの言葉がよく聞かれました。また、国の施策によって形作られたこの街には古くから社会的に弱い立場の人が多く暮らしてきましたが、そのために支援をしようという人も多く集まっていて、本当に多くの支援団体がある福祉の最先端を行く街だと思っています。こどもの里もそういった団体と繋がりながら子どもの最善の利益を求めて続けています。

いろいろなところや、人の関わりの中に“さと”があるような社会になってほしい

Q. タイトルはどのようにつけたのでしょうか。最後に、完成した作品をどのように観てもらいたいか、教えてください。

「さとにきたらええやん」は「さと的な所、さとにいるような繋がれる人が皆にいればいいよね」というメッセージです。あと、里に来て日が浅い人や、夜回り中に出会う野宿者の方に子ども達がよく言う言葉です。“さと”に来れば何とかしてくれるってずっと来てる子は知ってるんです。
本当にかなりの情報量をなるべくシンプルに詰めこんだ映画ですが、お堅い映画になるのが嫌だったので極力説明的な要素は省きました。
まずは登場する子ども達のエネルギッシュな魅力に元気をもらって頂き、あまり何も考えず映画を観て頂いた後、爽快感と共に何かもやもやするものや考えさせる事を感じて頂ければと思います。この映画を観て笑顔になって頂き、所々に込めたポイントに引っ掛かり、観た人一人一人が様々に考えてもらえれば嬉しく思います。

スタッフ

音楽:SHINGO★西成(しんご にしなり)

SHINGO★西成

大阪府大阪市西成区出身のラッパー。昭和の香りが色濃く残る“ドヤ街”、西成の釜ヶ崎・三角公園近くの長屋で生まれ育つ。90年代半ばよりライヴ活動を開始。2005年よりCDリリース、地元での平坦ではない生活をリアルな言葉でつづり、精力的にライブ活動を行っている。
節目となるワンマンライブでは、通天閣下のSTUDIO210(現在は閉館)や、笑いの殿堂としておなじみのなんばグランド花月など、地元の色濃い場所にて開催。三角公園の炊き出しや西成WAN、堀江ゴミ拾いなど、「自分のまちは自分でつくる」を体現しつつ、現在ニューアルバム制作中。

プロデューサー・構成:大澤 一生(おおさわ かずお)

1975年、東京都出身。日本映画学校(現・日本映画大学)に入学し、ドキュメンタリーの制作を学ぶ。卒業後は数々のインディペンデント・ドキュメンタリー映画の製作に携わる。主なプロデュース作品に『バックドロップ・クルディスタン』(2007年・野本大監督)、『アヒルの子』(2010年・小野さやか監督)、『隣る人』(2012年・刀川和也監督)、『ドキュメンタリー映画100万回生きたねこ』(2012年・小谷忠典監督)、『フリーダ・カーロの遺品 -石内都、織るように』(2015年・小谷忠典監督)など。他、制作参加作品多数。

編集:辻井 潔(つじい きよし)

1979年、東京都出身。日本映画学校(現・日本映画大学)卒業後、編集助手を経て『パレスチナ1948・NAKBA』(2008年・広河隆一監督)を共同編集。主な編集作品に、『花と兵隊』(2009年・松林要樹監督)、『ただいま それぞれの居場所』(2010年・大宮浩一監督)、『ミツバチの羽音と地球の回転』(2011年・鎌仲ひとみ監督)、『ぼくたちは見た -ガザ・サムニ家の子どもたち- 』(2011年・古居みずえ監督)、『季節、めぐり それぞれの居場所』(2012年・大宮浩一監督)、『隣る人』(2012年・刀川和也監督)、『ドコニモイケナイ』(2012年・島田隆一監督)、『イラク チグリスに浮かぶ平和』(2015年・綿井健陽監督)など。

音響構成:渡辺 丈彦(わたなべ たけひこ)

1965年 東京都生れ。1987年 サウンド企画 D.Cに入社、木村勝英氏に師事。主に映画の録音、音響構成を担う。参加作品に『花はんめ』(2004年・金聖雄監督)、『ありがとう』(2006年・伊勢真一監督)、『ツイノスミカ』(2006年・山本起也監督)、『花の夢~ある中国残留婦人~』(2007年・東志津監督)、『先祖になる』2012年・池谷薫監督)、『ルンタ』(2015年・池谷薫監督)等。

【お問合せ】

製作・配給ノンデライコ(担当:大澤)

〒161-0034 東京都新宿区上落合2-28-27
TEL:090-9304-3275
MAIL:nondelaico777@yahoo.co.jp

※自主上映については上記TELまたは下記アドレスよりお問合せ下さい。
sato_eeyan777@yahoo.co.jp