コメント

映画「さとにきたらええやん」に寄せられた推薦コメント

赤井 英和(タレント)

西成釜ヶ崎はボクの地元です。ボクも40数年前中学生の時、西成警察近くに「いこいの家」というのがあったんを思い出しました。年のはなれた姉兄は家を出ていて、両親は共働き、よく「いこいの家」で遊んだり、勉強させてもらってました。いってきます、おかえり、おおきに、ごめんなさい、いただきます、ごちそうさま、街も人も声かけあって、こんなんやったやん、こんなんがええやん!宝物の「さと」の子供が教えてくれる、ボクたちの大事にせなあかんもん。

稲葉 剛(NPO法人もやい理事/立教大学大学院特任准教授)

「子どもの貧困」問題が国会で議論をされるようになる遥か前から、「こどもの里」はさまざまな困難を抱える家庭の子どもたちに寄り添ってきた。 かつては「寄せ場」に凝縮されていた日本社会の貧困が拡散、深化し、私たちの社会全体が「釜ヶ崎」化してしまった現在、「こどもの里」の活動の意義はさらに高まっている。
この社会でどのように生きていくのか。誰と共に生きていくのか。声高に「問題」を語らない映画だけに、見る者は「問い」を自分のものとして引き受けていくことになるのだろう。

井上 仁(日本大学文理学部社会福祉学科教授)

「さとにきたらええやん」は、子どもの貧困や差別に対して子どもの権利擁護を声高に主張するのではなく、里親や居場所のケアワーカーたちひとりひとりが、子どもたちに向き合い子どもたちを想いながら、子どもたちの暮らしを支えている様が描かれている優れたドキュメンタリー映画です。
子どもに向き合うこと、子どもたちに寄り添うこと、そのことの意味がこの映画から強烈に伝わってくる。子どもに関わる親も専門職の方々も見るべき映画です!

岩佐 嘉彦(弁護士/NPO法人児童虐待防止協会理事)

登場する子どもたちは、ふらふらしながらもなんとか自分で立とうとしている。こどもの里のスタッフの献身的なサポートはあっても、早い時期から、ひょっとすると生まれた時から、困難と向き合うことを宿命づけられている子どもたちと思える。そういう子どもたちが、西成という地で、野宿者を始めとしたおっちゃんおばちゃんを助け、そしてまた、窮地に立ったこどもの里のスタッフを助ける。子どもが親だけではなく、たくさんの人たちとの間で絆を作りながら成長していくこと、そして、その絆を紡ぐうえでは、お互いどちらが強いとか弱いとか、そんな関係にはないことを教えてくれる。
「さとにきたらええやん」。まずは受け止めないと、まずは飛び込まないと、何も始まらない。

鎌田 實(医師/作家)

ヒリヒリ、ポカポカ、最後は不覚にも、ウルウルしてしまった。こどもの里は釜ヶ崎のユートピアです。一度入ったら、なかなか抜けられなくなってしまい、ぼくも、こどもの里依存症になってしまいました。
不器用な人達がこんなに懸命に熱く生きている。生きるパワーをもらいます。この映画、すごい。

北村 年子(ノンフィクションライター/ホームレス問題の授業づくり全国ネット代表理事)

カマに来て、さとに出会い、人生が変わった。わたしも重江監督も、いわば「さとチルドレン」かも。知ってるつもりで観だしたら…やられた、完全にノックアウト。ここまで、さとを内側から撮れたなんて、すごいな。どれだけ大事な時間と喜怒哀楽を共有してきたか、わかる。おとなが子どもを育てるんやない。子どもが、不完全な親を育て、おとなを成長させてるんや。そんな子どもたちの愛の底力に、泣いて笑って、打ちのめされてほしい。

辛 淑玉(のりこえねっと共同代表)

里にいくと、誰も警戒しない。空気のようにそこに座る。そう、私でも居ることが許される。
ガキんちょが絡んでくる。寝転べって微動だにしない男児をまたぎながら、ネイルケアに集中している少女。その横で黙々とご飯を作っている少年。勝手気まま。気を抜くとガキんちょどもが走りこんできては意味もなく衝突される。
なんだこりゃぁ。。。。
しかし、このぐちゃぐちゃ感が「実家」そのもの。たどり着いたところが実家だった。。
子どもたちの背中には父ちゃんと母ちゃんの歴史が、そして爺ちゃんとばあちゃんの歴史が覆いかぶさる。
重すぎるのだ。しかし、ここには人間を諦めない希望が絡みついてくる。
もう、無くなったと思われていた希望が里にはある。全てに絶望した時、それでも「里」はあった。
ここは、昭和初期ではない。いまの日本なのだ。今に続く日本社会の懐の深さなのだ。
映像にして、多くの人に伝えてくれてありがとう。そう、監督には言いたい。

汐見 稔幸(教育学者/白梅学園大学学長/東京大学名誉教授)

僕は通天閣に比較的近い天王寺高校の出身で、あのあたりの風景がやけに懐かしく、そこで生き抜いている子どもたち、親たちに無条件に共感してしまいました。
生物としてのたくましさを子どもたちに感じましたが、こどもの里がそれを保障する放牧場のような気がして、新しい育ちの哲学が生まれそうに思いました。

杉山 春(ルポライター)

100分間の映像に、びっしり詰め込まれたこどもの里。39年前にこの場を立ち上げた館長の荘保共子さんは、「子どもたちが作った」と語る。学童保育、里親委託、ファミリーホーム、子育て支援、自主事業、多様な制度・可能性を使って親たちが抱える時代の困難を背負う子どもたちを育てる。スタッフは家庭の中にもズンズン入っていく。親を支える。地域につながる。子どもたちはめきめき育つ。こんな場所が日本中にあったらいいのに。

高畑 勲(アニメーション映画監督)

子どもたち三人、すてきでした。
撮られたものが、「さと」の実力が、事実としてこちらに迫ってきました。
「さと」の包容力、心も温まるし、うらやましいし、でももちろん、すごい努力の成果なんだろうし、
日々、終わりのない課題・問題との向き合いでたいへんだろうな、よく頑張っているな、頭下がるよな、
と感心ばかりしていました。人に薦めたいです。

刀川 和也(映画監督『隣る人』)

どうしようもなくなったとき、「助けて!」と躊躇することなく声をあげることができるだろうか。
そんな寄る辺ない不安をふと感じるとき、「さとにきたらええやん」、気さくな人懐っこい声がやさしく耳元に響きます。
そんな映画です、僕にとっては。

津崎 哲郎(NPO法人児童虐待防止協会理事長/関西大学客員教授)

日本社会の縮図、大阪市西成区のあいりん地区で暮らす人々の子どもに居場所を提供し、生活を共にしながら、日々子どもとその親を支える実践活動が38年間にわたって続けられている。この記録はまさにその日常の風景を何ら加工することなく切り取ったものである。猥雑な環境や様々な困難を抱えた家族の中にあって、たくましく暮らし成長する子どもたちと支える人たちの実像に触れ、人と人のつながりの大切さに気付いてもらえれば幸いである。

西岡 研介(ノンフィクションライター)

重江良樹監督は最初から、「こどもの里のドキュメンタリー」を撮ろうと思って、「さと」に通っていたわけではないという。5年ほど通い続けた末に、「自分の大事な場所の大好きな子たちを撮りたい」と思ったのだ、と。 この〝邪心〟の無さが、主役の子どもたちはもちろん、様々な事情を抱えるお母さん、そして彼ら、彼女らを丸ごと支えるさとの職員との距離を縮め、同時に作品の清々しさに表れている。 一人でも多くの人が、この映画にけっつまづいてくれたらええやん。

西野 博之(フリースペースたまりば)

胸が熱くなった。「さと」には支援という薄っぺらな言葉は似合わない。生身の人と人が共に暮らす混沌とした場。
ええかっこばかりしていられない。おとなの弱さも透けて見えている。こどもとおとなが本音で語り、ぶつかり合って、いま、ここで生きている。ここの誰かは誰かを放っておかない。関わり続けようとする想いと覚悟。
釜ヶ崎のまちにともった「さと」の灯は、どんなことがあっても消してはならない。「さと」のような居場所は、全国いたるところ、我がまちで必要なのだ。

仁藤 夢乃(女子高生サポートセンターColabo代表)

親たちももがいている。そうわかるからこそ、苦しくなる。子ども時代に受けたトラウマ。「手を上げてしまいそう」と、子どもを預けにくる母親。「さと」にいたいと泣き続ける子どもの、自分と家族を守るための精一杯のSOSと愛情。 かっこわるい自分。障害を持った自分。暴力を振るってしまう自分。暴力や貧困の中で育った自分…。映画に出ることを決意し、自分をさらけ出して伝えてくれる子どもと親たちの勇気に感謝する。助けてと言える、気付いてくれる近所のおばちゃん、兄ちゃんがここにいる。必要なのは特別な支援ではなく、当たり前の日常だと、背中をさする手が教えてくれる。

保坂 展人(世田谷区区長)

日雇い労働者の街・釜ヶ崎 のオッちゃんらと子どもたちは共に生き、 運動会を楽しみ、夏まつりライブで盛りあがる。
息をのんだのは、厳しい寒さの中を子どもたちが 野宿をしているオッちゃんらの健康を気づかい、温かい食事を手渡す、子どもの夜まわりのシーンだ。 子どもの力、子どもの育ちを 引き上げる 「さと」を見て、私の中の子ども観が揺さぶられました。
ぜひ見てほしい映画です。

松本 創(ライター)

しんどいこと、さびしいこと、なんでやねんと言いたくなること。いろいろ抱えながらも、「さと」の子たちはみんな思いっきり生きている。 ここでは誰でも受け入れ、味方でいてくれるから。
カメラは子どもたちに寄り添い、成長を見守り、時に踏み込んでゆく。 館長のデメキンたちと同じ目線、同じやさしさで。
こんな場所が長年続いていて、こんな映画が生まれてくるのが大阪の底力、釜ヶ崎のしぶとさなんやろなあ。
最後にもひとつ。SHINGO★西成、最高。

水野 阿修羅(地域史研究家/メンズサポートルーム大阪/VAW研究会)

釜ヶ崎を撮った映画をたくさん見てきたが、この映画はすごい。「里」に来るようになったこどもはいろんな事情をかかえている。それを、そのまま、誤解を恐れず映し出している。事情を知るものから見ても、よくここまで撮れたなと思った。
釜ヶ崎を撮りに来る人の多くは、社会を批判する材料とする人や、特別な地域という物珍しさを演出する人が多い。この映画にはその匂いが無い。ただひたすら、こどもへの愛情を感じさせる。どのこも大変なのにそれを上回るエネルギーや笑いが溢れてる。

森 達也(映画監督/作家)

アジールだからこそ小さな吐息や囁き声が聴こえる。大切な映画だ。繰り返し観たくなる。

山縣 文治(関西大学人間健康学部教授)

さとは、自分を確認する場であり、自分を作りあげていく場でもある。ぶつかり合いながらも寄り添う、ありのままを大切にする。伝えるのは、相手を大切にすることと自分を大切にすること。指導でもなければ、教育でもない。命を大切にしている人としての心のうなりである。
さとの時間は、一見混沌としたまま流れているようにみえる。混沌としているからこそ生活であり、 命の蠢動がある。映像を通じて、生きているということ、生きていくということを、肌を通じて感じてほしい。

山野 良一(「なくそう!子どもの貧困」全国ネットワーク世話人/北海道名寄市立大学教授)

この映画を、僕は児童相談所というところで働いた経験があるせいだろうか少し違う見方をした。
子ども以上に、親たちや親子関係、さらには「さと」のスタッフと親や子どもとの関係のあり方に気持ちが深く入り込んでしまった。
みなしんどさや葛藤を抱えている。「さと」は、そうしたしんどさや葛藤にできるだけ正面から向き合おうとする。
もちろん、そこにはそれぞれの感情もあり、矛盾やすれちがいもある。
児童相談所をはじめ、さまざまな家族のケアに携わる人にぜひ見て欲しい。
いろいろな親子がいる。子どもにも親にも互いにいろいろな思いがある。

湯澤 直美(立教大学コミュニティ福祉学部教授)

映画の画面を通して出会う子ども たち、お母さん、 お父さん、地域の人々。喜びや涙、怒りや不安、そして希望・・・画面を通して語られる言葉はすべて、この時代の「証言」だ。それは、私という存在にも、私たちという存在にもつながる「かけがえのない日常」である。
ようやく日本 においても子どもの貧 困対策の推進が政府の政策課題となった。しかし、い かなる制度や支援策が必要か、まだまだ議論をしなければならないことが山積している。私は、こどもの里は、その議論の羅針盤となる事 業であると確信している。長い歴史の積み重ねのなかで、こどもの里は、一貫した理念を持ち続けている。そして、荘保さんは時代の変化 に即応した「構想」を常に模索し、描いていく。それは、中学校区に1か所「包括的地域こどもセンター」を、という構想だ。安心・安全な居場所のみでなく、必要に応じ宿泊できるショートステイや 緊急一時保護機能、親と離れて暮らす場合にはファミリーホームなどを包括的に用意する。子どもの暮らしに発生する 様々な事態に即応し、子どもが生きる地域や時間や絆を分断しない包括的な支援策だ。そのようなシステムは、親も支え、親とともに子ども を育てる安全拠点となる。「さと」という意味はあまりにも奥深い。

渡辺 一枝(作家)

子どもたちは、命ってこんなにも弾けるように元気なものだと見せてくれました。
しんどい時は誰にもあるけれど、それを吐き出せる場所と受け止めてくれる人がいればきっと乗り越えていける。つながりの中で人は生きている。つながりの中で、人は生きていける。
この映画は私に、生きることの基本のきを思い起こさせてくれました。
声高に主張するのではなく、まるで朝に日が昇り夕に日が沈むという当たり前のことのように、普通の話し声で語りかけてくれました。ありがとう、重江良樹監督。

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